写真は残ったのに、何を話したかは残っていなかった
つぶやき日記編集部 · 日々の使い方を描いた創作エッセイ

似たような写真が、また一枚
テーブルの上のカップを撮る。横からも撮る。少し明るく見える角度でも撮る。結局、似たような写真が三枚増える。
あとで見返すと、どの店だったかはだいたいわかる。でも、「この日は何がそんなに楽しかったんだっけ」と思う。飲み物がおいしかったのか、話が弾んだのか、それとも久しぶりに会えたことがうれしかったのか。
写真を撮るときは、覚えているつもりだった。カップの外側は写っているのに、その向こうで話したことは、どこにも写っていない。
写真に説明を付ける、というより
「駅の近くの喫茶店。アイスティー。」と書けば、場所と飲み物は残る。もちろん、それを残したい日もある。
でも、この日に添えたいのは、たとえばこんな一文。
「次の休み、何もしない日にしようって話で盛り上がった。予定を立てない予定だけ決まった。」
整った感想ではないけれど、写真の横にあると、その場の空気が少し見えてくる。カップを記録するのではなく、カップの前に座っていた自分の言葉を残す感じだ。
帰る前に、ひとことだけ
家に帰ってから書こうと思うと、買い物や片付けをしているうちに忘れる。だから書くなら、店を出たあとや、帰りの電車を待っている間に。
つぶやき日記で写真を添えて、覚えている言葉をひとつ書く。「楽しかった」だけでもいいけれど、何が楽しかったのかを少し足すと、あとで自分が助かりそう。
誰かに見せる写真を選ぶときとは違って、ベストの一枚を決める必要はない。ピントが少し甘くても、話を思い出せるなら、その写真で十分。
覚えているのが、見た目だけの日もある
記録を探すときも、いつも日付を覚えているわけではない。「青いカップだった」「窓の近くで撮った」という見た目だけが残っていることもある。
そんなときは写真一覧から探す。日付が思い出せる日はカレンダーから開く。同じ日記でも、探す手がかりに合わせて入口を変えられる。
どちらから見つけても、写真に添えた一文がある。何を飲んだかよりも、あの日の会話の続きを思い出したくて開くことがありそうだ。
きれいな写真がない日には
残すのは外出した日の写真ばかりではなくていい。作りかけの夕飯とか、途中まで読んだ本のそばに置いた飲み物とか。文章だけの日もあっていい。
「今日はここまで読んだ。続きが気になるから、先にお風呂に入る。」
それくらいの言葉が、あとで見たら案外その日らしいのかもしれない。大きな出来事を増やすためではなく、すでにあった小さな場面を見失わないために。
次に一枚撮ったら、保存する前に考えてみる。写真には写っていないけれど、今日の自分が覚えておきたいことは何だろう。